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小さな大きな訪問客

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ある日の晩のこと。
いつものように19時には夕飯を済ませた。
ボリビア人にとっては19時って早いみたいで、まだまだ活気のない近所の食堂では、夕飯を頼むとファーストフードのようにすぐに配膳される。
最初にスープ、その後にメインプレート、そして最後に一杯のジュース。
これがここパタカマヤではお決まりのメニューで、全部で Bs 7 程。
100円玉一枚で買える夕飯の味はすっかり僕の舌に馴染んでる。

食堂を後にし、いつものように行きつけのネット屋に立ち寄る。
甘い物好きの僕はどうしても食後に何かデザートを食べたくなるけど、ネットも言ってみればデザートみたいなもんかな。
食後にこれがないと何か締まらないみたいな・・・
日本にいたときに読んだボランティア要請書には、「インターネット不可」って書かれてたけど、実際は町にネット屋があったから本当に助かる。
協力隊の中にはネット環境が全くない人だっているわけだし。
このネット屋の店主夫妻はパタカマヤでは珍しく腰が低く、接客態度もすごくいい。
「私たち、ずっと働きづめで外に出ないからご近所さんからは変わり者って思われているの。だからあなたたち日本人とこうやっておしゃべりできるのが嬉しいのよ」と話す彼らは、ここパタカマヤで働くもう一人の先輩隊員の大家でもある。
「最近急に冷え込んできたわねぇ。もうすぐあなたが来て1年くらい経つんじゃない?もう帰る日までの日数を数えてんでしょ」なんてお会計の時に立ち話をしながら、食後のデザートも楽しんだ僕は、家までの道のりを歩き出した。

「うぅ、寒っ・・・」と一人呟き、顔を下に向け歩いていると「TAKU!」と僕の名を呼ぶ声が聞こえる。
目を上げると、そこには今日の午前中折り紙教室のために訪問した学校の生徒が立っていた。
ジャンパーのフードを被りながら、こちらを笑顔で見てくる。
「今さっき先生の部屋の窓を何度か叩いてきたところだよ。」

近所の学校を回り、毎週折り紙教室や衛生教育のクラスを開いたり、手洗い励行のCMも地元のチャンネルを通じて放送してもらったりしてるから、地元の子供にはすっかり顔と名前を覚えられている。
おまけに、良いか悪いかは別として、住んでいる場所まで知ってる子も少なくない・・・
Esteban というパタカマヤ新市長と同じ名前を持つ7年生(日本の中一)の彼もそのうちの一人。
折り紙がすごく気に入ったみたいで、わざわざ家まで教わりに来たそうだ。
しかも昨日の晩もうちの窓を叩いてたみたい・・・僕はあいにく食事中だったよ。

Estebanの学校は生徒数も少ないので、いつも授業は午前中だけ。
そこで僕は毎週火曜日の午前中全てを使って、6,7,8年生に折り紙や日本について教えてる。
ただ・・・生徒数が少ないだけじゃなくて、まず先生の数が全然足りてないんだな。この学校は。
おかげで一クラス約80分、一人で30人弱を相手に奮闘しなきゃならん。
初めは良かったんだ。日本人っていうエイリアンみたいな人が来て授業をする。
みんな警戒心を持ちながらも新鮮なアクティビティーや話題に触れられて楽しそうだった。
でもね、少し時が経つといくらエイリアンでも慣れちゃうんだよねぇ・・・
TAKU先生の言うこともなかなか聞かなくなってきた。
「これ、日本だったらみんな多動性何たらって認定されるぞ」なんて冗談半分思ったけど、この学校には先生が足りてないから、僕が去ったら下手するとその後の授業は全部自習・・・つまり好きなことをする時間になっちゃってる現状を見ると、「そりゃそうなるわ」って思ったりもして。
先生でもない僕が一人で授業を持つってこと自体が難しいことは承知の上。
しかもスペイン語でってなったら、そんな上手くいくわけはないよね。
それでも、あまりに子供たちがうるさくて好き勝手にやるもんだから、段々Estebanの学校に行きたくなくなってきたところだった。
そう、彼が僕に道で声をかけてきたのはそんな時だったんだ。

「折り紙教えてよ」ってEstebanは言った。
ある特定の子供を自宅に入れるってどうなの?って心の中でちょっと思ったけど、わざわざ夜遅くにうちの方まで来てくれた訪問客をあしらう訳にもいかず、一緒に家まで帰って部屋に招待したよ。
家の中に入っても相変わらずジャンパーのフードは被ったまま・・・いつかの自分みたい。
足元を見ると、こんな寒いのに靴下も履かずにサンダルを履いてる・・・いつかの友達みたい(笑)
お湯を沸かしている間に、Estebanは僕が日本の100円ショップで買ってきた折り紙の本を読んでる。
いつも食べてる夕飯と同じ価格の本だけど、僕を毎週助けてくれてる大事な教科書だ。
二人でお茶を飲みながら、Estebanが選んだ「はばたくことり」と「ヨット」を作ったよ。
手を動かしながらEstebanは色々話してくれた。
彼は転校生だってこと、弟とすごく仲が良いってこと、折り紙がすごく気に入ったみたいで、家でもお母さんに僕とそのクラスの話をしていること・・・
「はばたくことり」はその名の通り本当にはばたいた。
「ヨット」はすごくかっこよく出来上がって、膨らんだ帆は風を受けているみたいだった。
美化された話って僕は嫌いだけど、この話は読んでる人には美化された話に聞こえるだろうけど、出来上がった作品を嬉しそうに見つめるEstebanの笑顔が、そのときの僕にはキラッキラッ輝いて見えたんだよね。

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また彼の学校、彼のクラスに行こうかって思った。


僕がニューヨークに留学していたとき、ちょうど日本に帰国する数日前、マンハッタンにある日本人経営のとあるホステルに泊まってた。
そこにうちのお母さんくらいの歳のおばさん・・いや女性も泊まってて、リビングでちょっと話す機会があったんだ。
その人は中学校の先生だったんだけど、生徒の態度が悪く授業が上手くいかないらしく、僕みたいなペーペーに愚痴をこぼしてた。
「私のやってることって意味あるのかしら?って時々思ったりもするんですよ」って。
僕がペーペーだったから愚痴をこぼしたのかも。
その先生に対し、自分の中学時代を振り返りながら、ぺーぺーはこんな風に答えた。

「僕も自分の中学時代を思い出すと嫌になります。僕のクラスには学年一のワルがいて、しかも席順は出席名簿順で運悪く彼はいつも僕の前の席だったんです・・・授業妨害なんて日常茶飯事でしたし、最悪のケースに至っては、彼は女の先生の顔を殴ってその先生は流血までしちゃったんです。ワルって言われるやつは勿論他にもいて、とても落ち着いて授業に集中できる環境ではなかったです。でも、中にはちゃんと勉強したいって思ってる人も少なくなかったんです。僕とか(笑)。たとえ一握りでも、その少数の生徒のためにしっかり授業をしてくれた先生には今でも感謝してますし、先生にはそうであってほしいなって思います。生意気なこと言ってすみません・・・」

2回目になるけど、美化された話って僕は嫌いで、この話は読んでる人には美化された話に聞こえるだろうし、しかも自分で自分のことを美化しているみたいでめっちゃかっこ悪いけど、あの日ホステルで出会った女性の先生に、勿論内容は少し違うかもしれないけど、僕はこんな生意気でクサいこと言ったんだよね。
そして、そのことを今でも覚えてるし、Estebanと部屋で折り紙を折った夜、鮮明に思い出されたってわけ。


小さな大きな訪問客。
その手には千代紙で折った「はばたくことり」と「ヨット」。
気をつけて帰ってね。

ないものねだり

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2010年度もあっという間に3ヶ月が過ぎました。
日本ではもうすぐ桜が咲き乱れ、新年度の始まりと共に多くの人にとっては「変化」を経験する頃ですね。
ボリビアは日本のようにはっきりした四季の区別はありませんが、秋に入ったので、朝晩は以前に比べ冷え込んできました。

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一年前の4月8日に駒ヶ根訓練所に入所しました。
毎晩、3年日記を読みながら慌しかった去年の今頃を思い出しています。
何も今に始まったことではないですが、最近特に日本での生活が恋しくなることが多いです。
平日も週末も・・・今思えば「暇だぁ~~」って言える日なんて一日もなかった気がします。

当時はそれがいやでした。
近所のスーパー銭湯に行き、ただぼ~っとする一時間がどれだけ大切だったことか。
昼休みに窮屈なオフィスを出たとき、客先に出向いたとき、展示会の手伝いに駆り出されたとき・・・町をブラブラと歩く人たちやカフェで談笑している人たちを横目にどれだけ羨ましく思ったことか。
「休みたい・・・」
このフレーズが頭の中を巡ったことは数知れず。
そして、きっと今日本で働き、生活している、このブログをご覧になっている皆さんも同じように(そして、きっと僕以上に)感じることは少なくないのではと思います。

ちょうど去年の3月、訓練所入所前に参加した「技術補完研修」で、ボリビアから帰国して間もない女性隊員の方が言っていました。「今はとにかくバリバリ働きたいです!」と。
「え?まじっすか?」
会社を辞めてから数日しか経っていなかった僕には、正直理解できませんでした。
先日、その方が派遣されていた任地を訪れる機会があり、そのことをふと思い出しました。

現在の僕。
何だか、その隊員OGの方の気持ちが分かるような気がします。
自分で何か行動を起こさない限り何も起こらない。
でも、仮に何もしなくとも、それはそれで無事一日が終わってしまう。
日本であれだけ欲しいと思っていた「自由な時間」を手にした今、代わりに何かを失ってしまったような、満ち足りない気持ちを覚えるのはなぜだろうか・・・
日本にいたときは考えもしませんでしたが、予定、課題、人といった自分を「拘束」するもの(良い意味でも悪い意味でも)の中に、一種の満足感を覚えていたのかもしれないと思います。
自分を縛り付けていたと思っていた鎖に、実は引かれながら歩いていたのかなぁ。

今日はなぜかとても虚しさや無力感で心がいっぱいになりました。
「“国際協力”なんて聞こえはいいけど、自分は何も協力なんてできてないんじゃないか?」
「日本で応援してくれてる人たちは、もしかしたら僕が何か立派なことをしてるって思ってるかもしれないけど、全然そんなんじゃない・・・」
考えても仕方のないようなネガティブな思いを抱くこともあるのが、疑いのないパタカマヤでの日々、現実です。
ブログでは自分で意識していなくても自然とポジティブなことを書くことが多いですが、これは「自分史」の一部でもあるので、いつかの日の自分のためにも今日感じたことをありのまま記します。

ただし、タイトルにも書いたように、この記事を書く前から分かっていました。
詰まる所、僕は「ないものねだり」をしてるだけなんだということに。

「ないものねだり」をしている限り、「あるもの」には気づきません。
きっと弱い僕は、自分の置かれた状況、環境に関わらず、死ぬまでずっと「ないものねだり」をしていく気がします。
でも、気づいてはいるんです。
自分が「ないものねだり」をしているということに。

だから、これからいつもの活動先に行ってきます。
「あるもの」にまた気づくために・・・

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2010年の初めに

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2010年1月1日の朝を僕はラパス近郊にあるコロイコという小さな町で迎えた。
明け方に一雨降ったようで、宿泊したホステルのバルコニーにある机と椅子は雨露で濡れていた。
「雨も悪くはないね・・・」
朝陽に照らされて宝石のように輝く一粒一粒の雨露に雨嫌いの僕も思わず目を奪われていた。
「でも、やっぱり新年は晴れで迎えるに限る」とも思いつつ。


コロイコはラパス市から100km弱程しか離れていないものの、標高約1700mで昼間は暑く夜は涼しいという常夏の自然豊かな場所である。
ラパスからコロイコへ向かい山間部を車で下っていく途中、周りにそびえる山々の大きさに心からの感動を覚えた。
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コロイコに行く前には、ペルーとボリビアの国境地帯に広がるチチカカ湖にも足を延ばしてきた。
琵琶湖の約12倍の広さ。
どこまでも海原のように広がる一面の「青」に吸い込まれてしまいそうだった。
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2010年は「自分の小ささ」を思わされながら迎える年となった。
僕は小さい・・・自分が思ってたよりもずっと・・・
別に自分を卑下しているわけでもなんでもない。
「事実」として、僕は小さいんだ。

つい最近聞いた話ではあるが、銀河系全体のサイズを北アメリカ大陸だとすると、
太陽系は25セント硬貨程(100円玉くらい)の大きさだそうだ。
じゃあ太陽系に属する地球の大きさは?
そこに住んでいる自分自身の大きさは?
自問自答してみた。

自分の小ささを知ると、逆に何だか楽になった気がした。
自分が現在抱えている問題、将来に対する不安、必要以上のプライド・・・
これら全てが前よりちっぽけなものに思えてきて。
勿論、だからといって問題が解決されたり不安が解消されたりするわけではないけど。

自分が小さいってことが分かったから、僕は頼っていきたいと思ってる。
自分以外の誰かに。
そして、神様に。
小さい存在である僕が一人だけであがいても仕方ないしね。
独りよがりを止めた時に、僕はもっと大きくなれると思えるしね。

「自分の小ささ」を知ることができて良かった。

2010年の初めに、こんなことを考えさせられ僕はとても感謝しています。
一年の計は元旦にあり・・・ですよね。


順序が逆になってしまいましたが・・・
新年あけましておめでとうございます。
今年もあなたにとって、そして僕にとってもすばらしい一年となりますように。

心のベクトル

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自宅から市役所までの道のり・・・片道徒歩30分。
昼休みにも一度自宅に帰っているので、ほぼ毎日合計2時間歩いています。

どこまでも広がる渇いた大地を眺めながら歩きます。
今年は雨期に入っても全然雨が降らないので、ボリビア国内(特に西側のアルティプラーノ)では既に旱魃で苦しんでいる地域もあるとこの間ニュースで見ました。
パタカマヤも例外ではないようですが、最近は場所によっては地面に苔のように緑色の部分も見えるようになってきました。

新宿駅サザンテラス口から職場に向かっていたときよりもゆっくりしたペースで歩きます。
途中でいつも立ち話をする商店のおっちゃん、おばちゃんに挨拶しながら。
明らかに興味は持っているけどETのような存在である日本人をただ見つめるだけで、なかなか声をかけてこない登校中の子供たちに時々笑顔を見せながら。

iPod から流れる音楽を聞きながら歩いていることは昔も今も同じです。
ただ違うのは・・・
ちょっと視線が上に向いてるかな。
色んな景色が目に入ってきます。
そして、昔より胸にたくさん空気が入ってくるかな(酸素量は少ないけどね 笑)。
埼京線に乗って通勤していたときは沢山の「~しなきゃ」でできた塊みたいな胸のつかえがあって呼吸を邪魔してた気がします。

2時間も歩いていると嫌でも色んなことを考えます。
あぁでもない、こうでもない、って。
取り留めもない考えをまとめるのは難しいことですが、今日は一つ考えたことを書いてみます。


途上国に行ったことのある人は、よくそのとき感じたことを「モノはないけど、彼らの瞳はキラキラしていた」とか「途上国には日本人が忘れてしまったものがある」とか言って表現することが多いと思います。
僕も同じようなことを昔言った気がします。
でも、最近はあんまり好きではないです・・・というかできるだけ使いたくないです。

これらのフレーズって、それだけで聞いてる人に何となく伝わっちゃう気がするんです。
日本の書店には途上国の人々(特に子供)の笑顔を集めた本さえ並んでいると思います。
彼らの笑顔の何がそんなに魅力的なんでしょうか?
日本人にはない何かがあるんでしょうか?
途上国の人々が未だに持ち続けている日本人が忘れてしまったものって一体何なんでしょうか?
僕は自問自答してみました。
そして思ったんです。
上に挙げたフレーズを使う際には、これらの疑問に対しての説明がなくても何となく聞いている人には伝わってしまうんじゃないかと。

何だか僕はそれが嫌でした・・・

何で途上国の人々の瞳はキラキラして見えるんだろう?
日本人が忘れてしまったものって何なんだろう?

・・・

僕の知っている狭い世界の中で今の僕が辿り着いた一つの答え。
それは、「心のベクトル」の向きです。
日本人が途上国(または広く海外)に行く時、僕らの心のベクトルは外に向いています。
窮屈な、そして時に退屈ないつもの場所を離れ、色んなしがらみから一時期解放されて。
そして、肌を通して感じるもの、目から、耳から、鼻から、口から入ってくる全てのものが、未知で新鮮な刺激を与えてくれて。
心のベクトルはいつになく外へ外へと伸びているはずです。

そのとき見るその国の人々の笑顔、つたない言葉で交わす他愛無い一つ一つの会話、ちょっとした優しさ・・・それら全てを外へと伸びた心のベクトルが敏感にキャッチして、僕らの心の中へと取り込みます。
深く、そして広く、それらは浸透していきます。
普段使っていなかった沢山の心のひだを揺らしながら。

確かに途上国の人々の瞳はキラキラしています。
子供の人懐っこい笑顔を見ると、本当に「心が洗われる」気がします。
でも、それって途上国の人々の専売特許なんでしょうか?
日本人の笑顔だって負けてないんじゃない?
きっと、目を向ければすぐ傍に素敵な笑顔たちが転がっているはず。
ただ、心のベクトルが、僕の心のベクトルが、内側に向いているばかりにそれを見落としていただけなんじゃないかな。
一体どれだけの時間を自分自身だけを見つめながら過ごしてきただろうか・・・
日本人が忘れてしまったもの・・・というか僕が忘れがちなこと。
それは自分の心のベクトルを外に向けることなんじゃないかなと。

途上国の人々と日本人との違い・・・というより、一人の人間の中での違いかな。
だから僕は、途上国を必要以上に美化したり、日本を必要以上に卑下したくはありません。

心のベクトルをちょっと外向きに。
今いる場所、状況がどうかっていうのは間違いなく重要で大きな影響はあるけど、それが全てを決めるわけじゃない。
これがボリビアに来てからの僕が学んだことです。

きっとこの景色の中にもキラキラ光るものがたくさん転がっているはず。
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ちょっと方向を変えてみよっか。

El día de todos los santos(全聖人の日)

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11月1、2日はボリビアでは「全聖人の日」です。
これは言ってみれば日本のお盆のようなもので、11月1日の夜に故人の霊が地上に戻ってくると信じられており、2日は家族が皆集まり故人を偲びます。
11月2日は祝日なので、僕もいつも買い物をしている近所の商店のご家族にパタカマヤ市内の共同墓地に連れて行ってもらい、彼らと一緒に一連の儀式を見させてもらいました。
このご家族の中には昨年亡くなられた方がいたので、今回は特にその方を偲んでのお墓参りでした。
お墓に花や食べ物等を供える点は日本もボリビアも同じでしたが、ボリビア流で特徴的なのは共同墓地の周囲に家族毎にテントのようなブースを設け、そこに昨年中に亡くなった方の写真を飾り、さらに大量のパンや故人の好きだった食べ物や飲み物を供えていることです。
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パンは基本的に各家庭で手作りなのですが、面白いのがその形。
馬、人、はしご、太陽、月等、かわいらしい形のパンがたくさん供えられていました。
これらは各家庭の趣味で作られているわけではなく、それぞれにちゃんと意味があるようです。
例えば、はしごは天へ昇るための階段、馬は少しでも早く天に昇るため、太陽、月はそのまま天を表します。
人についてですが、僕が一緒に居させてもらったこのご家庭の故人は踊りが好きだったそうなので、踊り手を象った人型のパンが供えられていました。
なるほど・・・ですね。

さて、でも何故パンなの?と僕は疑問に思いました。

共同墓地には溢れかえる程の人が町中から集まっており、僕も歩いている際に何度も声をかけられました。
その中で、ある友人が彼の家庭のお墓に供えてあったパンを僕にくれました。
僕は何も知らずに “Gracias” と言ってそれを受け取りましたが、これには意味があったんです。
墓地にいた人たちは皆、各家庭のお墓に行ってお祈りをし、その後その家庭からお供え物のパンや果物、ビール等を受け取っていました。
後で分かったのですが、お供え物を祈ってくれた方に渡すことで、その方を通して遺族が故人にお供え物を手渡している、という意味が込められているそうです。
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「ボリビア版ハロウィーンだよ」とある方が教えてくれました。
確かに、子供たちもお祈りの文句を唱えてパン集めに必死になっていました。
知り合いであろうが、そうでなかろうが関係ありません。
皆さん各家庭を回ってひたすら祈り、ひたすらお供え物をもらいます。
人によってはお供え物でパンパンに膨れ上がった袋をサンタクロースのように担いで歩いていました。
あのパン、どうやって消費するんだろう・・・
どう考えても全て食べ切るにはかなりの日数かかります。
だから日持ちするように「パン」なんだそうです。
これまた、なるほど・・・ですね。
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少し前のことでしたが、僕にとって大切な方が一人亡くなりました。
ときに本当の息子のように僕のことを気遣い、かわいがって下さった方です。
しばらく前から体調を崩され、入退院を繰り返していらっしゃったのですが、ボリビアに来てから一度も手紙を書いていなかったので、ある週末に首都に行ったときにこちらの様子が分かる写真と共にポストカードをその方にお送りしました。

それからたった30分後・・・
ネットカフェでメールをチェックしていたときに訃報を目にしました。
目を疑いました。

辛い闘病生活の中で少しでも気を紛らわせることができればと思い、写真の裏にもメッセージを追記し、喜んでいただけることを願いながら投函しました。
10日もすれば手元に届くだろう・・・
でも、遅すぎました・・・ごめんなさい。

その後、その方が8月にうちの家族宛てに送ってくださった手紙のコピーを受け取りました。

・・・拓也さんのブログ昨夜中に全部読みました・・・
(父親がプリントアウトして手渡していたとのこと)

・・・この封筒は昔よく利用した “エア・インディア”のものです。中に入るとプーンとカレーの匂いがしたものです・・・
(働いていらっしゃった頃の海外出張の話、いつも楽しく聞かせていただいていました)

・・・2年後お会いした時、色々たのしい話を楽しみにしております・・・

僕からはボリビアから一通の便りも送っていなかったのに、この方は病床にあったにも関わらず僕のことを気にかけ手紙を下さっていたんです。
一文字一文字を眺めていると、この文字にボールペンのインクを通して息を吹き込み、生きたメッセージを僕に残した方が、もう既にこの地上にはいらっしゃらないことが信じられません。


故人を偲ぶこの「全聖人の日」に、僕はこの方をはじめ、亡き祖父母や友人等を思い出していました。
同時に今生かされていることが決して当たり前ではないこと、そしてそれに対する感謝の念も抱きました。

「失って初めてその大切さに気付く・・・」ことにならないよう、大事な一人一人と共有できる「今」という一瞬を大切にしたいです。

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プロフィール

taku0805

Author:taku0805
名前: TAKU
職業: 村落開発普及員
(青年海外協力隊)
出身地: 埼玉県
現在地: ボリビア
目的地: 神様におまかせ

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