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「小さなハート」プロジェクトについてのご報告

昨年10月にブログで紹介しました「小さなハート」プロジェクト。
多くの皆様にご関心を寄せていただいた結果、大変ありがたいことに12月末には必用な額の支援金が集まりました!
プロジェクト作成時にはどれだけの方に支援いただけるだろうか・・・本当に計画が実施できるだろうか・・・など不安がよぎりましたが、それも杞憂に終わったのはいつも応援してくださっている皆様のおかげです。
募金にご協力いただいた皆様、励ましの言葉をくださった皆様、プロジェクトに関心を持ってくださった皆様、お一人お一人に感謝申し上げます。

さて、その後ですが、紆余曲折を経たものの4月8日に機材譲渡式を無事終えることができました。
支援金集めに最も苦労するのではと思っていましたが、一番の山はその後に訪れました。
2~3月にかけて、支援金を使用して必要機材の購入、設置を行っていきましたが、何しろここは日本のように物事がスムーズに運ばないボリビアです。
「案の定」と言っては申し訳ありませんが、様々な問題により必要以上の時間がかかってしまいました。
どんな問題があったかと言うと・・・

①当初プロジェクトを立ち上げた際に集まっていた組合員(代表、副代表など中心人物は除く)が、なかなか集まらなくなったこと。会議の日取り、時間に関する連絡が滞ったり、開始時間に遅れたりすることなど多々あった。そのため、本当にやる気のある女性だけに組合に残ってもらうよう働きかけたところ、当初24名いた組合員は約半数に減ったものの、熱意や積極性のある女性たちが新組合員として入ることで、結果的にはより良いメンバー編成になったと思われる。
②必要物品の再見積もり、購入、設置について、非常に時間がかかったこと。少しでも同じ品物が安く買え、他の必要な物品にお金をまわせるようにと、市(いち)のたつ日に合わせて買いにいったことも多かった。しかし、ちょうどカーニバル(ボリビアだけでなく南米中で広く祝われる一年で最大のお祭り)の時期に重なってお店が開いていなかったこともあり、全てを揃えるまでに時間を要した。
③ボリビア全体に言えることではあるが、当組合も含めて、長い間、援助を受ける側としての体制(心理的にも)であったため、こちらから問い合わせないと、自発的にプロジェクトが動いていかないという問題があった。
④組合におけるリーダーのあり方・協力体制のあり方について、個々人は力をもっているが、組織として運営することについて、経験が浅いせいか、まだうまく機能しないこと。代表者がうまく仕事を分担させられず一人で抱え込んでしまい、結局出来ずじまいということも少なくなかった・・・
⑤Junta vecinal (地区の管理委員会)が期待したほど協力的でなかったこと。具体的には当初彼らが約束していた活動場所の電気配線工事を期間内にやらなかったため、急遽、組合、隊員、NGO自身で整備することになった。

※支援者の皆様宛にはより詳細な報告書を作成しましたので、「協力隊を育てる会」経由で送らせていただきます。お手元に届くまでもう少々お待ちください。他にも興味のある方がいらっしゃいましたらご連絡ください。メール経由で送らせていただきます。

以上に挙げたような問題があり、僕ら隊員とNGOは何度も女性組合と会合を持ち、議論を繰り返し、彼女たちを励まし続ける必要がありました。
新しいことを始めるときは常に苦労が伴いますが、「マチスモ」と言われる男性優位社会で育ち、自発的に何かを行うことに慣れていない田舎のボリビア女性にとって、それは尚更のことでしょう。
プロジェクト作成時には予想していなかった苦労もありましたが、このプロジェクトの目的は機材の譲渡ではなく、その機材を使い、彼女たちが経済的により自立していくことなので、将来を考えるとこれらの「産みの苦しみ」はむしろ必要なことだったと思います。

つい先日、活動場所に様子を見に行きましたが、忙しそうに働く女性たちの姿がありました。
フードプロセッサーを使って作るポテトチップスに対して、近隣の商店等からたくさんの注文が入ってきているとのことで、午前・午後の交代制で対応に追われているとのこと。
元々ベジタリアン・チョリソーを作るために購入した機材ですが、このようにして他の商品を作るのにも役立っています。
本格的にチョリソーを販売していくにはまだまだ課題が残っていますから、それら一つ一つを解決していくのと平行して、このような副次商品の販売も行っていければ良いのではと思います。
嬉しいサプライズでした。

前述の通り、機材の購入・設置に必要以上の時間がかかってしまったため、4月中に全てを終了させるという計画に遅れが生じています。
そのため、僕はこのプロジェクトを最後まで見届けられませんが、残りは共同申請者であるもう一人の隊員がしっかりと引き継いでくれます。
現在、NGOによる技術支援(会計、ベジタリアン・フードの生産・加工過程に関する技術指導)が行われている段階ですが、今後これらの支援が実を結び、女性たちやその家族の生活の質が向上していくことを願うばかりです。

活動場所にある機材一つ一つ、そしてそれを満足そうな表情を浮かべながら扱う女性たちの姿を見るにつけて、皆様からいただいた温かな気持ちを感じます。
このようにして、プロジェクトを企画、実施する機会を与えてくださったことにも感謝しています。
本当にありがとうございました!

以上、ご報告いたします。

※以下、4月8日の機材譲渡式の様子です。

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式典はJICA、NGO関係者、そして女性組合員の家族や友人等、多くの方々に見守られる中執り行われた。

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式典中には購入した機材の使用方法を女性たちが実演してみせた。

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購入した機材には全て、日本とボリビアの国旗をあしらった隊員手作りの「小さなハート」シールを貼付。

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当日は地元TV局2社も取材に来た。
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ちびっこ大冒険 パート2

※一つ前の記事「・・・パート1」の続きです。

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翌朝は6時に家を出る。
1,000mほど下ったところにあるルリバイという町に行くためだ。
お父さんと弟エベルは家の片付けをしたり、畑を見たりしてから先にパタカマヤに戻るということなので、今日はエステバンと二人だけ。
お父さんに簡単な地図を書いてもらった後、「心配はいらないよ!」と言うエステバンの先導で下山する。
裸足にサンダルといういつものスタイルで、すたすたと軽快に山を下りていく。
途中からは傾斜もきつく、道もあってないような感じだったが慣れたもんだ。
僕のひざは笑い始めてるっていうのに、彼は元気そのもの。
動物の糞だってお構いなしに勢いよく踏んでいく姿は、見ていて何だか気持ちが良かった。
「この道何回歩いたの?」と聞くと、「何回も来たよ!少なくとも100回くらいは」との答え。
「でも、うちのお母さんは、も~っと、も~っと早く下るよ。1時間くらいしかかからないんだから」と言った時、僕らが下山し始めてもう2時間以上が経っていた。
母、恐るべし・・・

下山し終わると、そこには "Tuna" という名のサボテンが一面に生える平地が広がっていた。
このサボテンの葉に生る実がすごく美味しい!
「ここ、うちのおじさんの畑だから大丈夫」と言うので、僕らも実を付けたサボテンの葉を一枚いただいて、残りの道中を進むことにした(後ろに見える山の頂上から下山した)。
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しかし・・・この平地が本当に難関だった・・・
というのも、目的地のルリバイまで行くためには、2本の川を渡らなければならないのだが、その川が地面から深さ20mくらい下に流れていて、橋もなかったからだ・・・
絶体絶命のピンチ到来!
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でも、僕らはあきらめなかった!
川に沿って歩き・・・
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そして崖を上り・・・
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合計4時間半歩き続け、ついに渓谷の里ルリバイに到着した!
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ルリバイは標高約2,500m、温暖な気候を利用した葡萄や桃の栽培が盛んな場所だ。
パタカマヤから車でほんの3時間程の場所に、きれいな葡萄畑が広がっているなんて想像もできなかった。
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わざわざ大変な思いをしてまでこの町にやってきたのは、おいしい果物を食べるためと、もう一つ、この町に住むエステバンのおじさん(母方の兄弟)に会うためだった。
エステバンの記憶を頼りにおじさんの家を探し当てたところまでは良かった。
玄関をノックすると、エステバンと同い年くらいの2人の兄弟が顔を出す。
予期せぬ来訪者の横には見慣れぬアジア人・・・彼らが警戒しているのは容易に見て取れたが、エステバンは自分が彼らのいとこにあたることを説明し、おじさんはどこにいるのかと聞く。
それに対して彼らは「父ちゃん、母ちゃんはブラジルに行っちゃって、来年まで帰ってこないよ」と答える。
すぐに近所の家から30代くらいの男性(彼らのおじさんにあたる人)がやってきて、同じようにエステバンのおじさん夫婦はブラジルに出稼ぎに行ってしまって、1~2年は帰ってこないだろうと言う。
子どもたちはおばあちゃんと一緒に長い間お留守番だそうだ。
せっかくここまで来たんだから、ちょっと家に寄っていきなさいと言われ通してもらう。
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聞いてみると、この男性もかつて3年間サンパウロの工場に出稼ぎに行っていたそうで、またすぐにでもサンパウロに戻ろうと思っているとのこと。
「工場での労働は奴隷みたいで大変だけど、こんな小さな町にいても土いじりしかできないし、何しろ向こうじゃ稼げるからな」と語る。
こんな山奥の小さな町からサンパウロのような大都会に出稼ぎに行くなんて大変だと思うが、南米最貧国のボリビアから、ブラジル、アルゼンチン、チリといった近隣諸国への出稼ぎは何も珍しいことではないようで、例えばこの男性の場合、2,000ボリビアース(約300ドル)さえあれば、サンパウロに行って働くことができると言っていた。
陸続きの近隣諸国への移動にはパスポートもビザも要らないそうだ。
パタカマヤのご近所さんの中でも、ブラジルで働いてきたとか、家族がアルゼンチンにいるとか言う人は珍しくないが、「海外移住」が身近でない日本人の僕にとっては、あまりピンとこない話だ。
目的は達成できなかったが、おじさんの家まで来たことの証として写真を撮り、この家を後にする・・・


今回の旅のことを僕は一生忘れないだろう。
エステバンやエベルと一緒にできるおそらく最初で最後の旅ということだけでなく、ボリビアの農村部の人々の暮らしを、ほんの一部ではあるがリアルに体験することができた。
任地パタカマヤも貧しい場所ではあるが、僕が住んでいる町の中心部について言えば、電気、水道、ガス(ガス管ではなく、プロパンガスのボンベのようなもの)が普及している。
活動の中で水道、電気のない農村部に行っても、泊りがけということは滅多にない。
週末に首都に上がれば、日本と何ら変わらない生活を送ることだってできる。
「南米最貧国」とくくられるが、ボリビアの人々それぞれの生活の違いは「一人当たりGDP 4,600ドル」(世界117位:2009年時点)というマクロ的な数字からは全く見えてこない。
今回の旅で、以前よりもっとエステバン一家のことを、そしてボリビア国民の生活の一端をよりよく知ることができた。
ミクロ的な視点を持って任国を知ることができること・・・これは協力隊ならではの特権であると思う。


旅行の前夜、エステバンが「村に着いて、近所の人が先生のことを『この人誰?』って聞いてきたら、『僕の先生』って紹介すればいい?」って言ってきた。
「う~ん、おれは本当の先生じゃないけど、まぁそれでいいよ」と答える。
するとエステバンは、”Eres profe!”(先生は先生だよ!)と言ってくれた。
彼にとって僕は「先生」なんだっていうことが嬉しかった。
残りあと数ヶ月・・・
しっかり最後まで「先生」を務めよう。


おわり

ちびっこ大冒険 パート1

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早いものでもう2月。
ボリビアの学校は今日から新年度が始まる。
学校で手洗い指導等の活動させてもらっている僕にとっても、いよいよ帰国前の最後の学期を迎えることになる。

去年の5月から、僕はエステバン(12歳)という名の近所の子どもの家庭教師みたいなことをしている。
(過去の記事参照: http://taku0805.blog85.fc2.com/?q=%BE%AE%A4%B5%A4%CA%C2%E7%A4%AD%A4%CA%CB%AC%CC%E4%B5%D2)
そのうちに、仲の良い弟エベル(8歳)もすぐ付いて来るようになった。
初めはずっと折り紙を教えていたが、覚えの良い彼らは僕が持ってきた折り紙教本にある形をほぼ全てマスターしてしまったので、最近は英語を楽しく勉強している。
エベルはまだ学校で英語はやっていない年齢だが、それでもお兄ちゃんと一緒に「ABCの歌」を歌えるようになった。
外国人であっても”Profe!(先生!)”と言って慕ってくれる彼らは、僕にとってすごく大切な友人だ。

そんな彼らと、この学校が休みの間を使って小旅行に行ってきた。
目的地は彼らのお父さんの故郷。
任地パタカマヤから山間を2時間程車で走った場所にある村だったが、ここでの滞在は本当に有意義なものだった。
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2年前まで家族揃ってこの村に住み商店をやっていたそうだが、パタカマヤに引っ越してからは一度も帰ったことがないとのこと。
どうりで1泊させてもらった彼らの家は半ば廃屋のようになっていた。
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子どもたちも昔の記憶がよみがえってきたようで、お世辞にも綺麗とは言えない状態のかつての我が家を見ながら、はじめのうちは何となくセンチメンタルな感じになっていたが、すぐに気分を切り替えて、2年前に売ってたお菓子の残りを取り出して食べたり(僕も勧められて食べてみたが、とても食べられた味じゃなかった・・・)、プレゼントした剣玉で遊んだりし始めた。
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土レンガで作った質素な家には似つかわしくなく、この家にはPanasonicのテレビとDAEWOOのDVDプレーヤーがあった。
しかもちゃんと動く!
この日はお昼過ぎまであいにくの雨降りだったので、雨が止むまで弟エベルの大好きな「スチュアート・リトル」を見た。
映画の中で昔留学時代にいたニューヨークの町並みが出てきて、華やかなブラウン管の中と、今自分がいるボリビアの山間の質素な家を比べながら、何だかそのあまりにもアンバランスな状況がおかしかった。
そして、自分がその両方の世界を経験していることが不思議な感じすらして、ニューヨークにいた頃の自分と、今の自分が同じに思えない気さえした。
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「スチュアート・リトル」を見るお父さん。

午後になると雨が止んだので、裏手にある山に行こうということになった。
山に行く前にお父さんが道中に食べるためのスナックを作ってくれた。
トウモロコシをトーストしたものだ。
中庭にある土かまどで火をおこし、黒焦げになった古い鍋の中でトーストする。
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それにしても、アンデスのトウモロコシはカラフルだ・・・
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山の上でパチリ!
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裏山への散歩中には、みんながその土地の植生について色々教えてくれた。
子どもたちも本当によく草花の名前を知っている。
極めつけは石ころだらけの地面から何かの植物の根っこのようなものを掘り出し、それを食べ始めた!
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「ジャガイモみたいでおいしいでしょ?」と言うが、僕には全くその美味しさが分からなかった(苦笑)
いや~たくましい。

この村には商店と言えるようなものもなかったが、お父さんがご近所さんからいただいたものや、その場にあるもので夕飯を作ってくれた。
ジャガイモ、チューニョ(ジャガイモを完全脱水・乾燥させた見た目は石ころみたいな保存食)、トマト、お米のスープ。とても美味しかった!
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このチューニョ、床に置いてあった袋から取り出したから、つまり・・・2年以上経ったもの。
僕が新宿で働いていたときに仕込まれたチューニョか・・・と思うと感慨深い(笑)

夜は電灯のない2階の寝室で、眠りにつく前にお父さんがアコーディオンを弾いて聴かせてくれた。
DVDプレーヤーやらアコーディオンやら、2年も寝かせておくにはもったいない物がたくさん出てくる。
ちなみにこのアコーディオンはお父さんが教会で賛美歌を弾くために、かなりの額をはたいて購入したもの。
暗闇に響く賛美歌のメロディーは、いつもよりも優しく美しく耳の奥に残った。


つづく

ある日の独り言


出国のスタンプをもらった君が手を振る
ほんの15m先の距離がとても遠い
次の一瞬、君の姿はもう見えない
さぁ、おうちへ帰る時間だ


寂しかったから泣いた
でもそれだけじゃない
目の前で待つ出発ゲートと友を前に
肩を震わせ泣く君の姿がたくさん語ってた

「上を向いて歩こう・・・」
あのフレーズが耳の奥で聞こえる
わかっちゃいるけど、ちょっと下を向いちゃだめかな
たまにはそんなときもあっていいでしょ

このときが必ず来ることは分かってて
何度も想像の映像が頭の中をよぎった
今その映像が目に映る景色とクロス
やっぱり、おうちには帰んなきゃね


空を見上げると太陽は西へと傾く
今頃夕日に染まる湖を見ている頃かな
どこまでも広がる大地が車窓を流れる
知らぬ間に緑の絨毯を敷き、夏を楽しんでるよ


久しぶりにおうちに帰る
ここを去る前となんも変わっちゃいない
「日出ずる国」からの使者が僕一人になったこと
変わったことといえばそれくらい

いや、変わったのはそれだけじゃなかった
近所のおばさんちが犬を飼い始めたのと
寂しいのは僕だけじゃないってこと
おばさんの目にも涙が浮かぶ


空を見上げると目の前には暗い天井
今頃南の大陸から北の大陸へと向かう頃かな
夜は更けて携帯には友からのメッセージ
みんなに寂しがられる君は幸せもんだよ


たくさんの人たちが同じような夜を経てきた
また会えるって分かってる
昔の人に聞かれたら笑われちゃうくらいの時間
でも寂しさは会えない時間の長さだけじゃ決まらないでしょ

今日はこの国のボスがやってきた
僕がこの町に来てからこれで二回目
カメラ小僧のように一目散に見に行かなかったのは
それが二回目だからってわけじゃないよ


空を見上げると二晩目の夜空はどんより曇る
今頃広い海の上をおうちの方に飛んでる頃かな
今晩は満天の星空を見上げたかったのに
雨季の空にそんな注文するのはわがままだね


せめて向こう側の空は晴れていますように
君が去る日に見た青空のように
「さようなら」と「おかえりなさい」の日には
できればすっきり晴れた空がいいよね

こんな文を君が見たら恥ずかしがって笑うでしょ
明日の僕も恥ずかしくなって笑うかも
でも書いてもいいでしょ
忘れたくない独り言だってあるんだし


2010年の終わりに

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今年もあっという間に過ぎていきましたね。
歳を重ねる毎に一年の月日がより早く流れていくように感じられるのは、きっと僕だけじゃないと思います。
「2000年問題」からもう10年が経ちます。
世界が滅亡するのでは?と言われる2012年も目前に迫っています。
こんなペースで月日が流れていったら、世界滅亡まではあと2日くらいの猶予しか残されていないような感覚です。
とはいえ、「そのとき」は神のみぞ知るですから、もしかしたら2日もないかも!?(苦笑)
日々を大切に生きなければと思わされる今日この頃です。

ここボリビアは真夏のクリスマスを数日後に控え、町を彩るイルミネーションやクリスマスツリーがそこかしこに見受けられます。
僕の任地、パタカマヤのような小さな町でさえ、キラキラ光るクリスマスツリーをいくつか見ることができます。
去年は真夏のクリスマスに多少なりとも違和感を覚えましたが、2年目の今は自然に受け入れられるのもこちらの生活に慣れきった証拠でしょうか。

こちらのクリスマスの習慣を一つご紹介します。
ボリビアではクリスマスが迫ると、どこの商店にもテレビのCMにも Panetón(パネトン)というものが登場します。
↓これがそのパネトン(あまりおいしそうに写った写真じゃないですが・・・)
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パネトンはもともとイタリア生まれの食べ物で、南米へのイタリア系移民と共に広まり、定着したそうです。
見た目はパウンドケーキのようですが、実際は中にドライフルーツが混じったパンです。
大手製菓会社が製造・販売するパネトンは美味しそうな見た目に騙されて買ってみると、生地はパサパサ、くずがポロポロと、残念な結果に終わることが多いのですが、今年はとある隊員が職場でプレゼントされたという手作りのパネトンをいただきました。
ボリビア風にキヌアで作ったパネトンでした。
食べてる途中、生地の中から髪の毛が1本出てきたところもボリビア風です(笑)
この髪の毛を何事もなかったかのようにすーっと抜き取り、その後も笑いながら美味しく食べ続けたのはこちらの生活に慣れきった証拠でしょうね。

さて、話は変わりますが、先日ラパス市内の奥地にある Chinchaya(チンチャヤ)という村落で、子どもたちと一緒にクリスマスのお祝いしてきました。
この村落は前述のとある隊員の紹介で去年も訪れた場所ですが、地域内に小さなカトリック教会があり、その地域を担当する神父さんや地元出身の若者のボランティアが子どもたちを集め、クリスマスに関するアクティビティーを行っています。

高層ビルが立ち並ぶラパスの中心部をどんどん離れ、次第に低所得者層の集住する標高の高い地域へと向かっていきます・・・
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山間を抜けていくと、ラパスの中心部からそれ程遠く離れていない場所にものどかな風景が広がっています。
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そこにポツンと建つ小さな礼拝堂。
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ここに近所の子どもたちが集まって、クリスマスのお祝いをしています。
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僕も日本語の「きよしこの夜」や折り紙を教えてきました。
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去年も訪れたとはいえ久しぶりに見る日本人の姿に、人一倍人見知りな田舎の子どもたちは緊張気味に見えました。
しかし、その緊張も次第に解けていき、最後には覚えたての日本語で「ゲンキ?」と挨拶をしてきたり、向こうから自然に僕の手を握ってくるようになりました。

大学生の頃から、教会で日曜学校(子どもたちと一緒に聖書から学んだり、歌、図工、スポーツ、レクリエーション等、色々なアクティビティーをしたりする場)の先生をしてきました。
クリスマスのこの頃は、100人以上の子どもたちが集まり、みんなで一緒にクリスマス会をしたもんだなぁ・・・と、Chinchaya の子どもたちと過ごしている間、なつかしく思い出したりもしました。

日本でも、アメリカでも、ボリビアでも、そしておそらく僕の経験したことのない他の国のクリスマスであっても、光り輝くイルミネーションに彩られる町の中を歩けば、溢れんばかりに多くの商品が魅力的な謳い文句と共に私たちの手にとられるのを今か今かと待っています。
TVやラジオからは、思わず一緒に口ずさみたくなるメロディーを背景に、「クリスマスは~と共に幸せな時間を」というようなメッセージで消費者の購買欲を刺激します。
気づけば私たちの心は風船のようにフワフワと、あっちに行ったり、こっちに行ったり、クリスマスの心ときめく雰囲気の中を漂っていることがあるかもしれません。
「あれも欲しい・・・これも欲しい・・・」
世の中は、より多くを「得る」ことに一生懸命になっているのかもしれませんね。
その「世の中」に僕自身も含まれていることは言うまでもありません。

でも、やっぱりこの心ときめく幸せな雰囲気の中でこそ、「共有する」ことを忘れちゃいけないと思います。
Chinchaya の子どもたちと一緒に飲んだ一杯のホットチョコレートが、風船のような僕の心に大事なことを教えてくれた気がしました。
同じ風船であるならば、その紐の先にくくりつけて運ぶのは、自分のためにずっしりと買い込んだプレゼントよりも、小さくても誰かのために用意したプレゼントと、クリスマスの意味を伝えるメッセージでありたいものです。

皆さんも良いクリスマス、新年をお迎えください!
また2011年にブログ上でお会いしましょう。
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ちなみに・・・
僕の大切な同期の一人であり、ネパールでアツく活動するM隊員に計算してもらったところ、このブログを書いている今日、2010年12月21日は僕が生まれてから一万日です!
二万日を迎えるのもあっという間かな?

プロフィール

taku0805

Author:taku0805
名前: TAKU
職業: 村落開発普及員
(青年海外協力隊)
出身地: 埼玉県
現在地: ボリビア
目的地: 神様におまかせ

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